ケンタとジュンとカヨちゃんの国:貧困のスパイラル
“人間には人生を選べるヒトと選べないヒトの二種類存在する。”
貧しい者は貧しい者を、富める者は富める者を生み出し、そのサイクルを繰り返していく。いくら光を求めてこの世界を壊そうとしても、何も変わらない。そんな救いようのない場面が次々と繰り出されるこの映画は、社会学などで用いられるピエール・ブルデューの「再生産」を思い起こさせ、ずっしりと重い問題が潜んでいます。
貧しい家庭に生まれ、児童養護施設で育ち、十分な教育を受けられないまま選ぶことのできない職に就き、職場ではいじめを受けるなど恵まれない境遇から、生い立ちへのやるせなさから暴力事件などを起こし刑務所に入ってしまう、主演の松田翔太演じるケンタの兄。
孤児として同じ施設で育ってきたジュン。そしてケンタとジュンがナンパをすることで知り合うことになるカヨちゃん。彼女は男性と一夜を過ごし続けることでどこかにあるであろう愛を求めている女性。こういうケースは現実にも多いものなのではないかと想像します。兄を見てきたケンタは“海の向こうには俺たちの知らない世界”があるのだろうか、“海外ってどんなものなのか”と何か遠くの世界への憧れと、この社会を壊せば光が見えるのだろうという期待を兄のいる網走にて見事に裏切られます。本当に救いようのない世界が最後まで描かれます。
日本でも貧困は存在しています。身近なはずなのに見えないのです。この映画はこれから世界にはばたくようですが、広い意味では貧困の視点において世界的に共感を得ていく映画となっていく可能性はあるのかもしれません。例えば、昨今インドでは未だに社会的には存在しているカースト制を越えるために、唯一平等な仕事を得られるIT産業に就く人が増えていると聞きますが、それは階層を脱却する一つの救いとなっています。しかしこの映画には悲観的で一筋の光はありません。それがまた現実味を帯びていて、観た者に思考をさせるのだと思います。
井山 彩子
貧しい者は貧しい者を、富める者は富める者を生み出し、そのサイクルを繰り返していく。いくら光を求めてこの世界を壊そうとしても、何も変わらない。そんな救いようのない場面が次々と繰り出されるこの映画は、社会学などで用いられるピエール・ブルデューの「再生産」を思い起こさせ、ずっしりと重い問題が潜んでいます。
貧しい家庭に生まれ、児童養護施設で育ち、十分な教育を受けられないまま選ぶことのできない職に就き、職場ではいじめを受けるなど恵まれない境遇から、生い立ちへのやるせなさから暴力事件などを起こし刑務所に入ってしまう、主演の松田翔太演じるケンタの兄。
孤児として同じ施設で育ってきたジュン。そしてケンタとジュンがナンパをすることで知り合うことになるカヨちゃん。彼女は男性と一夜を過ごし続けることでどこかにあるであろう愛を求めている女性。こういうケースは現実にも多いものなのではないかと想像します。兄を見てきたケンタは“海の向こうには俺たちの知らない世界”があるのだろうか、“海外ってどんなものなのか”と何か遠くの世界への憧れと、この社会を壊せば光が見えるのだろうという期待を兄のいる網走にて見事に裏切られます。本当に救いようのない世界が最後まで描かれます。
日本でも貧困は存在しています。身近なはずなのに見えないのです。この映画はこれから世界にはばたくようですが、広い意味では貧困の視点において世界的に共感を得ていく映画となっていく可能性はあるのかもしれません。例えば、昨今インドでは未だに社会的には存在しているカースト制を越えるために、唯一平等な仕事を得られるIT産業に就く人が増えていると聞きますが、それは階層を脱却する一つの救いとなっています。しかしこの映画には悲観的で一筋の光はありません。それがまた現実味を帯びていて、観た者に思考をさせるのだと思います。
井山 彩子



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