You cannot be real in black and white -『文雀』
ジョニー・トー監督による香港映画、『文雀』を見てきました。主人公のケイはスリ4人グループのリーダー的存在。一方で、スリで一稼ぎしたあとには自転車で街を周り、香港の街並みや人々の表情を写真に撮るという趣味の持ち主。そんな彼は、ある日街の中を逃げ回る若く美しい女性に遭遇し…というわけでストーリーはこちら。
この作品を見てまず気がついたのは、映画全体を彩る、というよりは「征服」する色の使い方でした。特に、彼がこだわる写真の「白」と「黒」、そして「赤」です。白黒写真を燃やす赤い炎、タバコについた口紅のあと、そしてカッターに残るケイの血、ケイの白いYシャツを染める血。東洋と西洋が入り混じっている香港の街並みのなかで強調される、この3つの色の美しさには目を奪われずにはいられませんでした。
映画のタイトルにもなっていて、またストーリーの鍵ともなる「文雀」。日本では文鳥と呼ばれますが、この鳥もまた「白」と「黒」の体に「赤」い嘴を持っています。ケイの家に迷い込んだ文雀がこの赤い嘴でチュンレイの指を噛んだように、まるで籠の中の鳥のような生活を強いられていたチュンレイがケイや他のスリ仲間に接近し、トラブルに巻き込んでいく様子は、この映画における3色の役割を象徴しているかのようでした。
ケイは美女のチュンレイに「どうして写真が白黒なのか?」と問いかけられ、「色は人を欺くから」と答えています。つまり、スリであるケイは「白黒」の世界こそが本物、本質であると思って生きている人間。自分がスリという行為で人を欺いているにもかかわらず、自分は人に欺かれることなく生きていたいから「白黒」写真にこだわる。しかし、チュンレイの登場によって彼は「白黒」の世界から引きずり出されます。チュンレイのせいで怪我を負ったり、スリという正体を世間にバラされてしまったり、唯一無二のスリ仲間と喧嘩したり…。言い換えれば、チュンレイはケイの生活に、写真を燃やす炎、口紅やコート、空港へ向かうタクシーに象徴される「赤」、そのほか様々な「色」をもたらしています。しかし、こうして映画のスト−リーが進むように、恋愛やトラブルを繰り返し人生は動いてゆく。本物の人生、生活の本質には「色」があり、それが毎日を面白くするということです。このケイの心情や身辺状況の変化が、映画では「白」と「黒」、そしてその2色を掻き乱す「赤」によって、巧みに描き出されているのではないでしょうか。そういう意味でも、クラシックな一作。私は大好きです。
この作品を見てまず気がついたのは、映画全体を彩る、というよりは「征服」する色の使い方でした。特に、彼がこだわる写真の「白」と「黒」、そして「赤」です。白黒写真を燃やす赤い炎、タバコについた口紅のあと、そしてカッターに残るケイの血、ケイの白いYシャツを染める血。東洋と西洋が入り混じっている香港の街並みのなかで強調される、この3つの色の美しさには目を奪われずにはいられませんでした。
映画のタイトルにもなっていて、またストーリーの鍵ともなる「文雀」。日本では文鳥と呼ばれますが、この鳥もまた「白」と「黒」の体に「赤」い嘴を持っています。ケイの家に迷い込んだ文雀がこの赤い嘴でチュンレイの指を噛んだように、まるで籠の中の鳥のような生活を強いられていたチュンレイがケイや他のスリ仲間に接近し、トラブルに巻き込んでいく様子は、この映画における3色の役割を象徴しているかのようでした。
ケイは美女のチュンレイに「どうして写真が白黒なのか?」と問いかけられ、「色は人を欺くから」と答えています。つまり、スリであるケイは「白黒」の世界こそが本物、本質であると思って生きている人間。自分がスリという行為で人を欺いているにもかかわらず、自分は人に欺かれることなく生きていたいから「白黒」写真にこだわる。しかし、チュンレイの登場によって彼は「白黒」の世界から引きずり出されます。チュンレイのせいで怪我を負ったり、スリという正体を世間にバラされてしまったり、唯一無二のスリ仲間と喧嘩したり…。言い換えれば、チュンレイはケイの生活に、写真を燃やす炎、口紅やコート、空港へ向かうタクシーに象徴される「赤」、そのほか様々な「色」をもたらしています。しかし、こうして映画のスト−リーが進むように、恋愛やトラブルを繰り返し人生は動いてゆく。本物の人生、生活の本質には「色」があり、それが毎日を面白くするということです。このケイの心情や身辺状況の変化が、映画では「白」と「黒」、そしてその2色を掻き乱す「赤」によって、巧みに描き出されているのではないでしょうか。そういう意味でも、クラシックな一作。私は大好きです。
加藤 舞



0 Comments:
Post a Comment
<< Home