「ヘアカット」:居場所を求めて
アバイ・クルバイ監督のデビュー第一作目というカザフスタンの映画。カザフスタン映画というのを初めてみたのですが「風景と心理を鮮烈に映し出す」と宣伝にあったように、ロシア周辺諸国の映画は、暗いながら心理描写が素晴らしいというイメージを抱いていたのと、「家庭や学校になじめず、短い髪で少年のように振舞う多感な10代少女を描く青春映画」とのことで、どのように揺れ動く心理を描くのか楽しみに見てきました。キャスティングされている人物達は実に多様で、顔も日本人のようなアジア系の顔の人、そして西洋人のような顔の人もいます。一歩ひいて映画をみてみると人種のるつぼ的な不思議な感覚を覚えます。監督は日本人に近いような顔立ちをした方で、本日(11月26日)初来日をして成田の税関で係員が日本人と思われる人を審査するのが不思議そうだったとコメントしていました。
さて内容についてですが、映画が終わった後、人々がすすり泣いているのが聞こえまして「これは泣かせる映画なのか?」何を伝えたいのだろうと、深く考える要素があると思いました。映画では様々な若者を取り巻く環境が描かれます。当たり前のように蔓延しているタバコやドラッグの世界。主人公は離婚した母親と新しい父親とうまく暮らしていけず、学校でもつっぱっているせいか、男の子と殴りあうこともあり、そのうち居場所を求めて行方不明になってしまう。以前暮らしていた本当の父親の元に時々通ったり、工事現場の温かい男性のところに泊めてもらったりと、色々な出会い。髪の毛を切ったのは、一見「男の子」の風貌にすることで、昼夜どこを出歩いても大丈夫なように、出発をする決意のために切ったようにみえたのですが、自分を守る手段ともとれるはずが、良心で酔っ払いのリッチな男性を親切に家に送り届けるところで、女性と見破られ暴力を受けてしまう場面もあります。また、彼女とは対照的な、極めて女性的な女友達が常に心配をしてくれ、彼女といるときだけは素直になり、唯一の居場所だったはずがそれすらあるきっかけでつながりが薄れてしまい、悲劇ばかりで彼女は救われないのだろうかということで涙を誘うのかもしれません。
しかし私は、どんなことがあっても最後まで居場所を求める彼女の姿に強いものを感じ、「居場所を求めること」は国を越えて思春期以降、誰もが経験する成長過程の特徴として涙を誘うよりもオトナに向かっていく姿としてポジティブに捉えられました。未来を担う若者たちがどうなっていくのだろうというところに関心をもって撮ったとインタビューで監督が述べていましたが、カザフスタンの若者を取り巻く一場面を垣間見、何か共通する課題について考えることができる作品です。
さて内容についてですが、映画が終わった後、人々がすすり泣いているのが聞こえまして「これは泣かせる映画なのか?」何を伝えたいのだろうと、深く考える要素があると思いました。映画では様々な若者を取り巻く環境が描かれます。当たり前のように蔓延しているタバコやドラッグの世界。主人公は離婚した母親と新しい父親とうまく暮らしていけず、学校でもつっぱっているせいか、男の子と殴りあうこともあり、そのうち居場所を求めて行方不明になってしまう。以前暮らしていた本当の父親の元に時々通ったり、工事現場の温かい男性のところに泊めてもらったりと、色々な出会い。髪の毛を切ったのは、一見「男の子」の風貌にすることで、昼夜どこを出歩いても大丈夫なように、出発をする決意のために切ったようにみえたのですが、自分を守る手段ともとれるはずが、良心で酔っ払いのリッチな男性を親切に家に送り届けるところで、女性と見破られ暴力を受けてしまう場面もあります。また、彼女とは対照的な、極めて女性的な女友達が常に心配をしてくれ、彼女といるときだけは素直になり、唯一の居場所だったはずがそれすらあるきっかけでつながりが薄れてしまい、悲劇ばかりで彼女は救われないのだろうかということで涙を誘うのかもしれません。
しかし私は、どんなことがあっても最後まで居場所を求める彼女の姿に強いものを感じ、「居場所を求めること」は国を越えて思春期以降、誰もが経験する成長過程の特徴として涙を誘うよりもオトナに向かっていく姿としてポジティブに捉えられました。未来を担う若者たちがどうなっていくのだろうというところに関心をもって撮ったとインタビューで監督が述べていましたが、カザフスタンの若者を取り巻く一場面を垣間見、何か共通する課題について考えることができる作品です。
井山 彩子



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