Passion、Passiveが罪となる
さっそくですが、本日東京藝大大学院生の作品という“Passion”を見てまいりました。ギター音がゆっくり流れる中で二人の男女が乗るタクシーに乗っていた中、ブレーキ音のキーッという音から何か不吉な予感と緊張感を与えるような形で音を効果的に使ってこの題を表示させるところから始まったのが印象的でした。あまり音楽を使わずセリフが多い映画ですが、「パリのアメリカ人」を使うなど何か高級感がある感じが「芸大っぽい」と感じるのは私だけかもしれませんが、なぜこの音楽を使ったのかは気になるところです。
“Passion”それは情熱という意味よりも受け身の“Passive”、Activeと対照的な意味を含むのだ・・といったようなことを監督がインタビューの中で述べていましたが、恋愛においては何がマジメで何が不真面目なのかというのは、その姿勢がPassiveであるかどうかによって変わってしまうのだろうか、といったメッセージ性をもつ作品ではないかと。ステディーな相手がいるのに別の相手に求められるままに受け入れるということが悪者になるのか、結婚をしていても恋をすることが罪なのか、など万人に共通するような事柄について、「結婚」適齢期となる複雑な30歳前後の何組もの男女の心理模様を描くことで改めてリアルに考えさせるような感じがします。
上に関連して、この映画の中ではメモをしていかないと忘れてしまうくらい考える要素が盛りだくさんで、普段から簡単に発せられている言葉の数々に問題を投げかけています。「誠実さがない」「愛がない」「暴力がない」など。いったいこれらはナンなのか?ヒトはいつでも「Passive」な姿勢からいくらでも誠実に接していても思いやりから不誠実になったり、意図的でなくても 相手にとってみたら暴力となったり、それって裏腹なのではないかと。こういった一つの言葉や姿勢について常に一つの事柄を両面からみる作業を色々な場面でやっている映画だったような気がします。
さて日本においてはこの30歳というのを区切りにして「結婚」には重みがあるような傾向がありますが、それは社会がそうさせている部分があると思います。30歳までに身を固めないと転職が難しいとか社会構造的な問題があるというのもあるかもしれませんが、何より気になったのは、同時通訳を介して海外のプレスやオーディエンスがいたわけですが、彼らの視点からは、この30歳前後の男女の模様やケジメとなる結婚というものが大きな意味をもつ日本の文化についてどう感じているのかというところです。私はド素人なのでどこかにあるのでしょうけれども、どのように表象するのかみてみたいと思います。
“Passion”それは情熱という意味よりも受け身の“Passive”、Activeと対照的な意味を含むのだ・・といったようなことを監督がインタビューの中で述べていましたが、恋愛においては何がマジメで何が不真面目なのかというのは、その姿勢がPassiveであるかどうかによって変わってしまうのだろうか、といったメッセージ性をもつ作品ではないかと。ステディーな相手がいるのに別の相手に求められるままに受け入れるということが悪者になるのか、結婚をしていても恋をすることが罪なのか、など万人に共通するような事柄について、「結婚」適齢期となる複雑な30歳前後の何組もの男女の心理模様を描くことで改めてリアルに考えさせるような感じがします。
上に関連して、この映画の中ではメモをしていかないと忘れてしまうくらい考える要素が盛りだくさんで、普段から簡単に発せられている言葉の数々に問題を投げかけています。「誠実さがない」「愛がない」「暴力がない」など。いったいこれらはナンなのか?ヒトはいつでも「Passive」な姿勢からいくらでも誠実に接していても思いやりから不誠実になったり、意図的でなくても 相手にとってみたら暴力となったり、それって裏腹なのではないかと。こういった一つの言葉や姿勢について常に一つの事柄を両面からみる作業を色々な場面でやっている映画だったような気がします。
さて日本においてはこの30歳というのを区切りにして「結婚」には重みがあるような傾向がありますが、それは社会がそうさせている部分があると思います。30歳までに身を固めないと転職が難しいとか社会構造的な問題があるというのもあるかもしれませんが、何より気になったのは、同時通訳を介して海外のプレスやオーディエンスがいたわけですが、彼らの視点からは、この30歳前後の男女の模様やケジメとなる結婚というものが大きな意味をもつ日本の文化についてどう感じているのかというところです。私はド素人なのでどこかにあるのでしょうけれども、どのように表象するのかみてみたいと思います。
井山 彩子



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