『13歳、スア』: YELLOW defeats RED / Reality beats Fantasy
フィルメックスが閉幕して、もうすぐ一週間が経とうとしていますが、どうしてもレビューを書きたい作品があるのでアップします。それは『13歳、スア』という韓国の作品。
スアは多感な13歳の少女。父親を2年前に亡くし、母親は食堂を切り盛り。母親には恋人がいるのですが、スアはそれが気に入りません。実はスア、自分の母親は、韓国の人気歌手ユン・ソリョンだと信じ込んでいます。本当の母親に壁を作り、現実から目を背けるスア。それに気づかず、娘とすれ違っていく母親。スアが本当の母親と信じるユン・ソリョンに会うためにソウルへと家出したことをきっかけに、母娘の関係に転機が訪れます。
この映画は、きっと誰もが経験することのある反抗期の真っ只中で、もがき苦しむ少女を描いています。上映後の監督のQ&Aのなかで、「不思議な作品だった」という感想が客席から出ましたが、私にとっては、何だか懐かしいような、こっぱずかしいような感覚にとらわれた作品でした。ここで私が注目したいのが、この作品における「赤」と「黄」の使い方です。簡単に言うと、「赤」はスアの幻想や現実逃避の世界を表す色で、「黄」は現実の世界を現す色です。以下にその例を挙げてみましょう。
「赤」:
手品師に貰ったバラ、生徒会長と一緒に塗った口紅とマニキュア、
ユン・ソリョンの衣装、スアの幻想で出てくるユン・ソリョンのステージ、
ソウルに向かうときに着ているスアの服
「黄」:
スアの布団、母親のバスの食堂、
バスの食堂の開店パーティーで母親が着ているカーディガン、
夢のなかで父親に決別をするスアが乗っているバス
「赤」の項目で挙げたものは、見た目こそ刺激的ではあるものの、非常に脆いものばかり。例えば、バラは枯れて、ごみと一緒に捨てられます。マニキュアも、数日後にはボロボロにはげている。そして、ソウルでユン・ソリョンの車を追いかけるスアの服は、雨でびしょ濡れに。一方、「黄」は見た目こそ弱い色ではあるものの、「赤」にはない安定性、そして「赤」には負けない強さを持っています。
ここで、もう一つこの2色について議論するならば、「母親」というテーマを忘れてはいけません。上記の項目を見れば一目瞭然ですが、スアの心のなかには2人の母親がいました。一人は「赤の母親」のユン・ソリョンで、もう一人が「黄の母親」である本当の母。面白いのは、本当の母親がバラを捨てたり、生徒会長の友達を牽制する発言をしたりと、「赤」の世界を作品の始めから否定し、壊していることです。最後に、ソウルで赤い服を着たスアのほっぺたを思いっきり引っぱたくのもそうですね。そして、目が覚めたスアが見つけた答え。それは、父親の日記に書かれていた母親の存在が、人気歌手のユン・ソリョンのことではなく、歌が上手で「ユン・ソリョン」というあだ名がついていた本当の母親のことだったという事実です。つまり、人気歌手は「赤のユン・ソリョン」であり、本当の母親は「黄のユン・ソリョン」だったわけです。
この作品の最後のシーンに、朝焼けのなかで、黄色のバス屋台を磨いている母親を、遠くから見つめるスアの姿があります。彼女はもう、黄色の現実から、目を背けることを止めたんですね。だって、黄色の世界に自分の居場所があることを知ることができたのですから。何とも心温まる一作でした。
スアは多感な13歳の少女。父親を2年前に亡くし、母親は食堂を切り盛り。母親には恋人がいるのですが、スアはそれが気に入りません。実はスア、自分の母親は、韓国の人気歌手ユン・ソリョンだと信じ込んでいます。本当の母親に壁を作り、現実から目を背けるスア。それに気づかず、娘とすれ違っていく母親。スアが本当の母親と信じるユン・ソリョンに会うためにソウルへと家出したことをきっかけに、母娘の関係に転機が訪れます。
この映画は、きっと誰もが経験することのある反抗期の真っ只中で、もがき苦しむ少女を描いています。上映後の監督のQ&Aのなかで、「不思議な作品だった」という感想が客席から出ましたが、私にとっては、何だか懐かしいような、こっぱずかしいような感覚にとらわれた作品でした。ここで私が注目したいのが、この作品における「赤」と「黄」の使い方です。簡単に言うと、「赤」はスアの幻想や現実逃避の世界を表す色で、「黄」は現実の世界を現す色です。以下にその例を挙げてみましょう。
「赤」:
手品師に貰ったバラ、生徒会長と一緒に塗った口紅とマニキュア、
ユン・ソリョンの衣装、スアの幻想で出てくるユン・ソリョンのステージ、
ソウルに向かうときに着ているスアの服
「黄」:
スアの布団、母親のバスの食堂、
バスの食堂の開店パーティーで母親が着ているカーディガン、
夢のなかで父親に決別をするスアが乗っているバス
「赤」の項目で挙げたものは、見た目こそ刺激的ではあるものの、非常に脆いものばかり。例えば、バラは枯れて、ごみと一緒に捨てられます。マニキュアも、数日後にはボロボロにはげている。そして、ソウルでユン・ソリョンの車を追いかけるスアの服は、雨でびしょ濡れに。一方、「黄」は見た目こそ弱い色ではあるものの、「赤」にはない安定性、そして「赤」には負けない強さを持っています。
ここで、もう一つこの2色について議論するならば、「母親」というテーマを忘れてはいけません。上記の項目を見れば一目瞭然ですが、スアの心のなかには2人の母親がいました。一人は「赤の母親」のユン・ソリョンで、もう一人が「黄の母親」である本当の母。面白いのは、本当の母親がバラを捨てたり、生徒会長の友達を牽制する発言をしたりと、「赤」の世界を作品の始めから否定し、壊していることです。最後に、ソウルで赤い服を着たスアのほっぺたを思いっきり引っぱたくのもそうですね。そして、目が覚めたスアが見つけた答え。それは、父親の日記に書かれていた母親の存在が、人気歌手のユン・ソリョンのことではなく、歌が上手で「ユン・ソリョン」というあだ名がついていた本当の母親のことだったという事実です。つまり、人気歌手は「赤のユン・ソリョン」であり、本当の母親は「黄のユン・ソリョン」だったわけです。
この作品の最後のシーンに、朝焼けのなかで、黄色のバス屋台を磨いている母親を、遠くから見つめるスアの姿があります。彼女はもう、黄色の現実から、目を背けることを止めたんですね。だって、黄色の世界に自分の居場所があることを知ることができたのですから。何とも心温まる一作でした。
加藤 舞



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