『サントゥール奏者』:子どもから大人へ、おもちゃから仕事道具へ
この映画で私が注目したいのは、主人公アリと楽器のサントゥーリとの関係。この関係の変化を細かく描き出すことによって、主人公のアリの成長がはっきりと輪郭づけられていきます。
最初、アリにとってサントゥールは彼の人生そのもの、そして彼の人格を形成しているものでもありました。のちにアリ自身が語っていることですが、家族との確執のなかで、かれはサントゥーリという「おもちゃ」を見つけ、そこに心地よい居場所を見出し、サントゥーリ演奏に没頭していくわけです。いわば、アリは子どものまま、家族やイラン社会という現実と向き合うことを拒否したまま、体だけ大人になってしまったといえるでしょう。
妻との別れやドラッグ中毒で徐々に自己が破壊されていくなか、演奏中に喧嘩に巻き込まれ、サントゥーリが壊され、踏みつけられるシーンは非常に暗示的です。壊され、踏みつけられているのは主人公アリ自身なのですから。サントゥーリを失ったアリは、自分自身を見失い、ドラッグに溺れていくわけですが、このときの彼はいわばおもちゃを取り上げられた迷子なのです。
しかし、彼にはサントゥールを持ち得ない、一人の人間をしてのアリを救おうとしてくれる元妻のハニエ、そして家族がいました。サントゥールを盾に現実をひたすら拒んでいたアリは、更正施設でようやく現実と、そして自分自身と向き合わなければいけない状況に置かれ、サントゥールという逃げ場無しで、アイデンティティを再構築していきます。物語の最後に再びサントゥールを手にしたとき、彼にとってそれはもうおもちゃではありません。彼は、現実から目を反らして自分を守るためにではなく、自立した一人の大人として、誰かを救うツールとしてのサントゥールを弾くようになります。それはまるで、サントゥールに支配された人生からの解放を暗示しているようでした。
アリの妻ハニエが音楽に一番大事なものは「心」と発言している部分があります(確か…)。映画ではアリの演奏シーンが幾度となく登場しますが、なぜでしょう、私は映画のラストで流れる、大人のアリが演奏するサントゥーリだけに何か特別な魅力を感じました。それは、あの演奏が「心」で奏でられた「音楽」だったからかもしれません。そういった意味で、主人公アリを演じるバハラム・ラダンの演技も素晴らしい一作でした。
加藤 舞



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