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2007/11/27

「ティタシュという名の河」の音

ティタシュ河の雄大な流れと過酷な自然環境に寄り添いながら、貧困がもたらす人間の不条理を描いた叙事詩的大作、ですね。

あらすじ。結婚の話から始まります。キシェルという勇猛な男は、自分が結婚するのはバションティだと思っていたが、父親の言いつけにより他の村の女と結婚することに。花嫁(名前を思い出せない)を自分の村に連れて帰る途中、ティタシュ河で盗賊に花嫁を盗られてしまう。キシェルは狂ってしまい、花嫁は知らない村に流れ着く。花嫁は夫の顔も名前も、どこの村に行くことになっていたのかもわからない。流れ着いた村で身を寄せつつ、キシェルとの子ども・オノントを産む。10年後、オノントを連れ、偶然キシェルの村に移住することになる。村ではバションティの家に住むことになるが、そこには気の狂ったキシェルがいた。次第に花嫁はキシェルに惹かれるようになり、キシェルと花嫁は結ばれるかと思いきや、河辺で村人に殴られてしまう。死の直前、キシェルは花嫁を「妻よ」と言い残し死んでしまい、花嫁も息絶える。

みなし子となったオノントは、バションティによって育てられるが、バションティの両親によるオノントに対する冷たい仕打ちが、次第にバションティにオノントを拒絶する心が生まれる。ある時、オノントのことで母親とケンカになり、母親を殴ったことがきっかけでオノントを追い出してしまう。オノントを失った悲しみから、優しさまで失ってしまったバションティは次第に暴力的になっていく。バションティに言い寄ってきた他の村の商人を羽交い締めにした事件をきっかけとして、その仕返しに家を燃やされ、村の土地を没収されてしまう。バションティは飢えの中、干上がったティタシュ河で死んでしまう。

この作品、前回見た『非機械的』と同じように、音が効果的に使われています。ゴトク監督作品の特徴と言えるかもしれません。

例えば、新婚初夜の場面。式が終わり、部屋の中で離れて向き合うキシェルと花嫁。お互いなかなか近づかない。ついにキシェルが花嫁に近寄りベットに押し倒す。この場面では、花嫁の呼吸音が効果的に使われている。キシェルが徐々に女に近づいて行くにしたがって花嫁の呼吸が激しくなり、押し倒された時にはまるで全力疾走した後のような息づかいになる。他の音はなく、ただ花嫁の呼吸音の増幅だけでその緊張感が構成されている。押し倒された後は場面が転換するのだが、その後何が行われたのかを妄想的に膨らませるには充分な効果をもたらしている。

また、バションティが、オノントに出ていけと言う場面。この時、バションティは鬼のような形相で追い出すのだが、ここでは村の女が洗濯した服を洗濯板に叩きつける音が使われている。これも、バションティの、夫を失い、再婚もできず、子どももいないことからくるオノントに対する善の感情と、なぜ自分とは関係のないオノントのために苦労しなければならないのかという悪の感情を劇的に対比させるために象徴的に使われている。

さらに最後のシーンで、オションティが河辺で高い音が出る笛を吹きながら草むらを走り回る、いなくなったオノントの幻を見る。この時の音も、互いにふりかかった、避けることのできない悲劇を、笛の高い音でもって表されている。

貧困が人間の心までもすさませてしまう不条理と、子どもが母親を欲する愛と養母による養子への屈折した感情を、美しい映像と効果的な音でもって表現されていると思います。傑作です。(オオヤギ)

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