『ジェリーフィッシュ』: Walk or Wander?? Swim or Float??
遅ればせながら、『ジェリーフィッシュ』のレビューを書かせていただきます。
この映画が映し出すもの。それは、人間の意志や運命を翻弄しながら全てを飲み込んでいく大海のような世の中、そしてその中をまるでタイトルの『ジェリーフィッシュ』=クラゲのように、流され漂いながら日々を生きる人間たち。
映画には多くのクラゲが出てきます。結婚式場で働く主人公のバティアもその一人。彼女は恋愛関係も上手くいかず、仕事にもやりがいを見出せない若い女性です。彼女の部屋の天井から水漏れしているのが、非常に象徴的。つまり、彼女の居場所が徐々に海と化してしまっていること、そして彼女がその海のなかをフワフワと漂うしかない存在であることを物語っています。そして登場するのは海辺で出会った迷子の女の子。女の子は腰に浮き輪を巻きつけ、喉が渇くと、まるで水がないと生きていけない水中動物、つまりクラゲのように天上から滴る水を飲みます。そして後のシーンでは、その水漏れがより激しくなり、バティアも天上から滴る水をゴクゴクと。更には、部屋中が水浸しになり、言葉通り海になってしまいます。彼女が車に轢かれるとき、真っ白なドレスを着ているのがとても印象的ですね。ホテルで自殺を図った女性の詩のなかに「スリップとドレスを着たクラゲ」というような一文がありますが、まさにこのときのバティアは、「白いワンピースを着たクラゲ」というわけです。
同じように、もう一人の主人公である新妻のケレンは最初、真っ白な、フワリとしたウェディングドレスを身に纏って登場します。その姿、まさにクラゲ。トイレに閉じ込められ、ドレスを脱いで脱出しようとするも、怪我をしてしまう。クラゲの傘も触手も失くしてしまっては、浮かぶことさえできなくなってしまいます。バティアの前に現れた女の子が、腰に巻きつけた浮き輪を脱がそうとすると、「ギャー!!」といって抵抗するのは、それを取り上げられると、浮いていられなくなってしまうからです。浮いていられなくなったクラゲは、浜辺に犬のフンと一緒に打ち上げられるだけですから。
この映画には、この世の中の海と、そこにいきる人間のクラゲが、非常に象徴的に描かれているシーンが幾つかあります。私がそのなかでも一番センスを感じるのが、バティアの働く結婚式場でのシーンです。白いドレスを誇らしげに身に纏ったクラゲ。ウェディングケーキも、浮き輪の女の子のシルエットにそっくりのクラゲ。新婚夫婦は、あの式場で、人生の新たな一歩を本当に歩き出せているのでしょうか?それとも、結婚式というイベント特有の雰囲気の海の中で、そして婚姻という社会的価値観の波に、ただ流され、漂っているだけなのでしょうか。
ただ、この映画が最後に語っていることは、人間がいかに無力であるかというような悲観的な見方では決してありません。エンディングで映し出されるのは、カメラマンの友人と浜辺を踏みしめながら歩くバティア。そして、旦那と同じ場所、時間、経験を穏やかに共有するケレン。老女マイカに買ってもらった船の模型を抱きしめ、フィリピンの家族のもとへ帰るハウスメイドのジョイ。彼女たちは、その瞬間を、ただ流され漂っているのではなく、自分の意志で泳ぎ、人間として歩いています。
ただ一つ、私が見落としてしまったのが「船」という視点でした。私たちクラゲと、世の中という海のなかで、「船」が一体どのような意味を持っているのか…。それを確かめる為に、そして再びあの映像美のなかへ迷い込む為に、何度でもこの映画を見てみたい。そんな気持ちにさせてくれる作品でした。
この映画が映し出すもの。それは、人間の意志や運命を翻弄しながら全てを飲み込んでいく大海のような世の中、そしてその中をまるでタイトルの『ジェリーフィッシュ』=クラゲのように、流され漂いながら日々を生きる人間たち。
映画には多くのクラゲが出てきます。結婚式場で働く主人公のバティアもその一人。彼女は恋愛関係も上手くいかず、仕事にもやりがいを見出せない若い女性です。彼女の部屋の天井から水漏れしているのが、非常に象徴的。つまり、彼女の居場所が徐々に海と化してしまっていること、そして彼女がその海のなかをフワフワと漂うしかない存在であることを物語っています。そして登場するのは海辺で出会った迷子の女の子。女の子は腰に浮き輪を巻きつけ、喉が渇くと、まるで水がないと生きていけない水中動物、つまりクラゲのように天上から滴る水を飲みます。そして後のシーンでは、その水漏れがより激しくなり、バティアも天上から滴る水をゴクゴクと。更には、部屋中が水浸しになり、言葉通り海になってしまいます。彼女が車に轢かれるとき、真っ白なドレスを着ているのがとても印象的ですね。ホテルで自殺を図った女性の詩のなかに「スリップとドレスを着たクラゲ」というような一文がありますが、まさにこのときのバティアは、「白いワンピースを着たクラゲ」というわけです。
同じように、もう一人の主人公である新妻のケレンは最初、真っ白な、フワリとしたウェディングドレスを身に纏って登場します。その姿、まさにクラゲ。トイレに閉じ込められ、ドレスを脱いで脱出しようとするも、怪我をしてしまう。クラゲの傘も触手も失くしてしまっては、浮かぶことさえできなくなってしまいます。バティアの前に現れた女の子が、腰に巻きつけた浮き輪を脱がそうとすると、「ギャー!!」といって抵抗するのは、それを取り上げられると、浮いていられなくなってしまうからです。浮いていられなくなったクラゲは、浜辺に犬のフンと一緒に打ち上げられるだけですから。
この映画には、この世の中の海と、そこにいきる人間のクラゲが、非常に象徴的に描かれているシーンが幾つかあります。私がそのなかでも一番センスを感じるのが、バティアの働く結婚式場でのシーンです。白いドレスを誇らしげに身に纏ったクラゲ。ウェディングケーキも、浮き輪の女の子のシルエットにそっくりのクラゲ。新婚夫婦は、あの式場で、人生の新たな一歩を本当に歩き出せているのでしょうか?それとも、結婚式というイベント特有の雰囲気の海の中で、そして婚姻という社会的価値観の波に、ただ流され、漂っているだけなのでしょうか。
ただ、この映画が最後に語っていることは、人間がいかに無力であるかというような悲観的な見方では決してありません。エンディングで映し出されるのは、カメラマンの友人と浜辺を踏みしめながら歩くバティア。そして、旦那と同じ場所、時間、経験を穏やかに共有するケレン。老女マイカに買ってもらった船の模型を抱きしめ、フィリピンの家族のもとへ帰るハウスメイドのジョイ。彼女たちは、その瞬間を、ただ流され漂っているのではなく、自分の意志で泳ぎ、人間として歩いています。
ただ一つ、私が見落としてしまったのが「船」という視点でした。私たちクラゲと、世の中という海のなかで、「船」が一体どのような意味を持っているのか…。それを確かめる為に、そして再びあの映像美のなかへ迷い込む為に、何度でもこの映画を見てみたい。そんな気持ちにさせてくれる作品でした。
加藤 舞



1 Comments:
なるほど。なかなかするどい視点ですね。そう考えると、実はイスラエルという国家自体もクラゲなのではないかと思えてきてしまいます。パレスチナという“かさ”を取ってしまうことで、自分たちのアイデンティティのよりどころを失ってしまい、どうにも動けなくなってしまう。イスラエルが抱えているさまざまな国内問題を、パレスチナという外交問題に転嫁させるからこそ、自分たちのアイデンティティを保つことができる。真の意味でかさをとらなければならないのはイスラエルという国なんだよと。そんなメッセージもあるのではないでしょうかねぇ。
By
Tsutomu OYAGI, at November 28, 2007 at 12:18 AM
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